続いて,小竹浜へ行った。
ここは船も多く,本格的に漁を行っているような印象だった。
震災前は,写真中心付近に写っている「弁天島」と,右側に小さく写っている「生草島」への渡船をやっていたらしい。このあたりはクロダイが釣れるようだ。
今でも渡船はやっているのだろうか・・・。
防波堤の先端部分が低い。
最初からなのか,地盤沈下なのかは分からない。
ちなみに,佐須浜と小竹浜を結ぶ道路は,2012年5月1日現在,通行止めになっているようだ。折浜の方から教えてもらった。
震災の影響なのかどうかは分からない。
次は,桃浦だ。
ここは鮎川へ続く道路に面している。
ここは震災の被害が非常に大きいように感じる。以前の状態を詳しく把握している訳ではないが・・・。
海の近くの物は,ほとんど残っていないような感じがする。
被災したままの住宅も,多く残っている。
洞仙寺というお寺に,「復興の鐘」があった。
漁港のスロープ付近に,紅白幕をかけたテントが設置されていた。
漁再開を祝っているのだろうか。
数匹のカニを見つけた。
次は月浦。桃浦のすぐ近くだ。
この看板から入ってみた。
牡鹿に釣りに来ていた時は気にならなかったが,ここを曲がると何かありそうだ。
曲がってすぐのところに,支倉常長の像があった。
この付近には仮設住宅が多く設置されていて,像の後ろに写っているのは,恐らく仮設住宅用の受水槽だと思う。
像のすぐ近くに,こんな階段があったので上ってみた。
あまり広くないが,展望台が設置された広場があった。
一番眺めが良いと思う方向で撮影した。
全体的に木が多く,海の方まで見通せる場所が少ない。少し周りの木を伐採すると,絶景になると思う。
今は景観よりも,被災した人の生活を取り戻す方が優先だが。
月浦漁港の目の前に「小出島」という島があり,高波からは守られそうな印象だが,津波によって被災したままの家が多く残っていた。
漁港自体は比較的綺麗で,数隻の船がある。
ちなみに,震災前はこの漁港から小出島への渡船が行われていたらしい。
現在も行っているかどうかは分からない。
次は荻浜と小積浜。
このあたりから届け物の約束の時間が近づいてきたので,詳しく見ていない。
荻浜は被災した建物の撤去作業が進んでいる印象。
建物の基礎だけ残っている場所が多かった。
堤防の向こうに,多くの船が少しだけ見える。
この日は,人は一人もいなかった。
荻浜のすぐ隣に,小積浜がある。
荻浜に近いという事もあって,同じような状態。
3名位の人が,何か作業をしていた。
小積浜以降は約束の時間の関係で,ほとんど立ち寄っていない。給分浜という場所で1つ目の用事を済ませ,鮎川へと向かう。
この地点で,12:00を少し過ぎていた。
いろんな所へ寄っているので,時間が過ぎるのが早く感じる。
釣りをする余裕がないのだが,牡鹿を見つめ直す良い機会だ。
鮎川へ着いた。
約5ヶ月ぶりに来た。
以前歩いた場所を,また歩いてみた。
正直言って,道路や建物などは大きく改善されたという印象は無く,以前のような鮎川へ戻るには,まだまだ時間が掛かりそうだ。
平日という事もあってなのか,昨年12月は海の近くに人はほとんどいなかったが,漁の準備と思われる人が多くいた。
以前より,活気があるように感じる。
ホエールランドは以前のまま。今日も付近には,誰もいない。
観光施設の復旧よりも,地元の人の生活改善が先だろう。
内陸側も変わったような感じはしない。
鮎川の人から聞いた話だと,このあたりは大潮の満潮時に冠水する場所が多く,自宅があった場所(自分の土地)へ家を建てるのは禁止されているらしい。
代替地の話も進んでおらず,仮設住宅へ入ったままとの事だ。
昼食は,「おしかのれん街」で食べた。今回は,ラーメンだ。
寿司も食べたかったのだが,なるべく多くの店で買い物をしたい。
チャーシューメンを注文したが,なかなかうまかった。
鯨歯工芸の「千々松商店」さんを覗いてみると,手作りで商品を製作していた。
震災前は自動車整備工場を営んでいて,現在魚屋さんをやっていた「鮎川モータース」さんとも話しをした。
店に飾ってある夫婦で写った大きな写真は,以前ここを訪れた人が撮影し,送ってくれたそうだ。